2018年は強くありたいなと・・・

どうも。ゴリラのスカウトマンです・・・
個人的に、12月は忘年会に派遣の紹介にと、なんやかんやといろいろがんばったので、1月はひと段落しようと思っていたらもう20日も過ぎている次第である・・・

本当は毎日ブログは更新したいんだけど、なかなかそうもいかなくてな(´・ω・)w
まあでも、たまに読んでくれている人もいるようなので、そんな珍しい方のために今日もがんばってブログにログインした次第である。

いつも読んでくれてる方はありがとう。
 
 

2018年は強くありたい。

さてさて、あっという間に2018年になったわけだけど、みんなは今年の抱負とか、覚えているだろうか?
そろそろ忘れてくる頃だったりするよな?( ˘ω˘ )w←

今年の抱負!とか言って、みんな高らかに宣言するけど、毎年12月31日に「今年の元旦の抱負はこれだったな」と覚えているやつは少ない。

元旦に抱負を宣言したやつは、ちゃんと覚えておくようにしたいところだ( ˘ω˘ )w
(まあ、ゴリラも「今年の抱負」は2月にもなると覚えていないことが大半ではある(;´д`)w)
 

で、ゴリラの個人的な今年の抱負なんだけれども・・・
すげえ個人的なことなんだけれど、ゴリラは今年は「資本主義」に行きようかと思ってな・・・
 

去年は「資本主義社会」について考えていた

去年は「資本主義社会」について考えていたんだよ。

資本主義ってずるいよな?
金を持っているやつが強くて、金を持っていない奴は弱い世界、それが資本主義だ。

資本主義においては、金持ちは偉くて、お金を持っていない人は弱い。
お金持ちは好き勝手やるのに対して、お金を持ってないやつは、お金を持っているやつに従うしかない。
だから一見すると、資本主義ってなんか「金持ちのためのシステムなのかな?」と思うこともある。

けど、その通りなんだよな。
世間は、「倹約こそ美徳」とか言うけど、一方で高価なブランド品を持つものがもてはやされたり、「金持ちは悪いヤツ」「金持ちはずるいヤツ」とか言うけど、金を持っていないやつほど、金持ちには逆らえない。

ゴリラは、お金を持っている時期も、お金を持ってない時期も両方経験して、
「やっぱりお金はあったほうが便利だよね」という当たり前の答えに行きつき・・・
結果、今年はやっぱり「資本主義に生きようかな」と決めた次第である。

貧乏は悪だし、貧乏は不便だ。お金はあったほうが良い。

いろいろ考えた結果、金がないのはやっぱり悪だなーと思うことが多かったので、今年からはやっぱり「金になることを優先して行う」ということを徹底しようかなあと思った。

だから悪いけどブスはスカウトしないし、
出勤できない子にお店を紹介することもやめようかなと。
 

中途半端なやさしさは相手を弱くする


ユニセフの検索画面から引用

ゴリラは、実を言うと、「寄付」とか「支援」とか、そういう言葉はあまり好きではない。(とか言いながらコンビニで寄付しまくってた時期もあるが。)

なぜ、「寄付」が好きではないかというと、
そもそもお金を渡すとは、「その人の在り方を肯定する行為」なんだよね。

お金は基本的に、強いものに流れる。それは資本主義としての原則だ。
それなのに、寄付というのは、弱いものを肯定する行為に感じるから、ゴリラはあんまり好きじゃないんだよね。
たとえば、男性なら、綺麗な女性と話せることは嬉しい、だからキャバクラという商売が成立するし、
もうちょっと言えば、チョメチョメだってしたいわけだから、風俗という仕事が成立する。

つまり、「お金払ってでも美人と話がしたいんだ!」という男性は古今東西どこにでもいる、ということだ。

お金を渡す、ということは、資本主義的に言えば、「あなたの存在に感謝する」という意味だ。
「あなたの存在に感謝しています。私とお話してくれてありがとう。だから私の大切なお金を差し上げます。」
これは基本的な資本主義としてのお金の動きだ。
 

キャバクラでは、街で出会えないような綺麗な子と、会話ができる。
だから、大金でも支払うという人が大勢いる。
だから、かわいい子がキャバクラをやると儲かるのは、当たり前の話だ。

故にあなたたちはきれいである必要があるし、綺麗でありつづける必要がある。美しいということは正義である。今もし、美人でないと思うならば(まあ、自己評価はそう思う人が大半だろうけれど・・・)綺麗になる努力はした方がお得だよね、ということになる。
 

でも、ここで中途半端に、「ブスでも稼げますよー」と言ったらどうなるだろうか。
そいつはブスで終わってしまう。

ここで中途半端に「出勤しなくても稼げますよー」と言ったらどうなるだろうか。
出勤できないキャバ嬢の出来上がりだ。

あのな・・・

美人なほうが稼げるに決まってるし、出勤したほうが稼げるに決まってるだろうが!
 

もちろんさ、週2でもOKなお店とかね、探せばあるよ。
見つかるけど、なんだろうね、最初からそれを求めるのは違うんじゃないの、って思うわけだよね。
まあ、持って生まれた顔は仕方ないにしても、態度とか、服装とか、その他の部分で、自分をよりよく見せることはできるはずだよね。(そういう相談はウエルカムだからね。)
 

寄付も同じで、「子供が飢餓に苦しんでるのでお金を恵んでください」とか言うわけだけど、
「だったら日本に来て働けよボケが」という話になるわけだよね。

日本にも来ないで、正当な努力をせずに、欲しいものは欲しい、という人はゴリラは大嫌いなのだ。

でも、「それでも良い」と思う人たちが寄付を集って、
わざわざ弱い人に届ける、なんて仕事をするわけだけれども。

いつも謎に思うんだけど、
駅前で「寄付をお願いします」っていう高校生、その時間コンビニでバイトして、そのお金を全額寄付したらどうなんだろうね?( ˘ω˘ )w
10人くらい並んで寄付集ったりしてるけど、あいつら全員が1日コンビニで働けば、10万円くらい稼げると思うけど・・・
まあ、寄付というビジネスをしたい(要は金集めをしたいだけ)なら、別にいいんだけどさ。
 

という感じ・・・
 

資本主義では強いものが生き残る

と、ここまでかなり性格の悪いことを書きまくっているゴリラであるが・・・
どうだろうか、ゴリラのことを嫌いになってくれただろうか。

まあ、つまり、ゴリラは資本主義に生きる以上、金を稼がなくてはいけないので、弱いものは助けない、とこのブログでは高らかに宣言したのであった。
 

まあ、何が弱いか、はまた別の話になるけれどもねえ。

と、ここまでゴリラの本音を暴露したわけであるが(´・ω・)w
 

ちなみに、弱さは両親のラブ不足が原因になっているケースは多いみたい。

ただ「弱いものは散れ!」と書いたところで、
弱い人への解決にはならないだろうから、一応ヒントを書いておく。

これはゴリラの個人的な意見だけれども、
心が弱い人、というのは基本的に両親に「甘えられなかった、甘えた経験があまりない」という人が多いみたいだ。
まあ、「心が弱い」という表現も、心の弱さなんて、誰にでもあるものだからな(´・ω・)難しいんだけど。

たとえば、両親が仕事でいつも忙しそうにしていたり、
いつも仕事で余裕なさそうな感じだったり・・・

両親が忙しそうだったり大変そうだったりすると、
ついつい両親の機嫌をうかがうようになってしまって、
結果、社会に出ても相手の出方ばかり気にしてしまう、という性格になってしまうみたい。

何を隠そう、ゴリラも実家は自営業だったもので、両親はいつも家に居ないし、帰ってきたら疲れてるしで、あまり両親には甘えられなかったんだよな・・・

じゃあ、どうすればいいか?って話なんだけれども・・・
ゴリラの場合は、意識して両親と食事に行ったりする時間を作るようにしたな。
あるいはこうして、時々はブログで発散したり(´・ω・)w

別に、食事に行くようになってからなったからと言って特に何が変わったというわけでもないんだけど、
社会人になってから両親と食事するようにしてから、「ああ、あの時忙しくてあまりかまってもらえなかったのは、ある意味仕方ないことだったのかなあ・・・」とかは思えるようになったな。

まあ、大切なのはコミュニケーションだね。

もう既に両親はいない、という人もいるかもしれないね。
まあ、そういう人は、うーん。日記とか書いてみると良いのかもしれないね。わからないけど。
でも日記も、あれ1年くらい続けてると、後で客観的に読み返せるようになったりするんだよね。
 

ちなみにどうでも良い余談

ちなみに、この記事では、寄付はクソだ~なんて書いたゴリラであるが、
以前は結構、寄付もしてたし、ホームレスと食事をしていたこともある。
あいつら、こんな便利な日本で、なんでホームレスなんかやっているか不思議でたまらなかったからな。

寄付については、「金持ちになりたいなら寄付をしろ」という類の本を読んで、実践してみたんだけど、
寄付したところで本来の事業に投資するべきお金が無くなっただけだったな・・・
しかも税金も毎年それなりに支払ってたし、「福士は税金で賄われているみたいだし、税金はキチンと払ってるし、なら寄付とか意味なくね?」と思った次第である(´・ω・)
寄付するぐらいなら、まだあなたたちに還元したほうが良いだろうなと思うようになったから、
もうゴリラは寄付はしない。
 

まあ、ホームレスと飯くった時の話は、また別の機会にでも・・・

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